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Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2026年度前期

グローバルな規制が必要でありながらまだ行われていない、あるいは規制が不十分である分野をひとつ挙げ、なぜ国家による規制や自由放任では不適当であり、グローバルな規制が必要であるのかを説明しなさい。

グローバルな規制が必要とされながら実効的な枠組みが著しく不十分である分野として、「フロンティア人工知能(最先端AI)および自立型致死兵器システム(LAWS)の開発・配備」を取り上げる。

欧州評議会のAI条約やEUのAI法、広島AIプロセスなど部分的な枠組みは模索されているものの、拘束力を伴う検証メカニズムや軍事利用・破滅的リスクを網羅した包括的な多国間協定は未確立である。

1. 自由放任が不適当である理由

市場メカニズムと企業の自己規律に委ねるアプローチは、AI技術が抱える巨大な「負の外部性」に対処できない。

  • 安全性の外部化と競争圧力:先端モデルの開発競争において、企業には「他社に先んじて市場を独占したい」という強いインセンティブが働く。安全性テストや整合性(アライメント)確認には多大なコストと時間がかかるため、自由放任下では安全検証を後回しにする企業ほど短期的利益を享受する「モラルハザード」が生じる。
  • 破滅的リスクの非対称性:生物兵器の自動設計支援、サイバーインフラへの自律攻撃、モデルの制御不能といったシステミック・リスクは、一企業の損害賠償能力や破産責任の範囲を遥かに超え、社会全体に壊滅的な被害をもたらす。

2. 個別の国家による規制が不適当である理由

国家主権に基づく国内法制化(国境内の規制)のみでは、国際関係の構造的力学により制度疲労を起こす。

  • 「底辺への競争(Race to the Bottom)」と規制の形骸化:AIのモデルウェイト(パラメータ)やコードは国境を容易に越えてデジタル空間を移動する。特定国が厳格な安全基準や開発制限を課せば、開発主体は規制の緩い「AIタックスヘイブン」へ登記や計算拠点を移転させるだけである。
  • 国家間の安全保障のジレンマ: AIは軍事・インテリジェンス・産業競争力の核心であるため、二国間対立(米中対立等)のもとでは「相手国より先に強力なAIを開発しなければ国家安全保障が脅かされる」という囚人のジレンマに陥る。この結果、各国政府自身が安全検証よりも開発速度を優先するインセンティブを持ち、国内規制が自発的に緩められる。

3. グローバルな規制が必要とされる論理

最先端AIの安全確保は、気候変動や核拡散防止と同様に「地球規模の公共財(Global Public Goods)」の創出・維持の問題である。

課題項目グローバル規制が果たすべき具体的機能
ただ乗り(Free-rider)の抑止包括的な条約によって全世界で共通のレッドライン(自律型核攻撃判断の禁止、致死性生物兵器設計の遮断など)を合意し、抜け穴を封じる。
ハードウェア層の査察・検証ソフトウェアと異なり、超大規模AIの学習に必要な先端半導体(計算資源/コンピュート)やメガデータセンターは物理的に追跡可能である。IAEA(国際原子力機関)のような国際機関を設立し、計算資源の物理的査察を行うことで、国家間の相互不信を緩和する。
技術・安全知見のプール破滅的インシデントの兆候や脆弱性情報を国際共有する仕組みを整え、局所的な脅威が全世界的な連鎖崩壊に波及することを防ぐ。

先端AIがもたらすリスクは国境を認知せず、一国の不備や一企業の暴走が全人類の存立基盤を脅かす性質を持つ。国境に縛られた個別国家の主権行使や企業の自己責任論では囚人のジレンマを解けないため、主権の一部を制約してでも拘束力ある国際検証機関と共通基準を構築するグローバル・ガバナンスが不可欠である。

軍事目標主義といった武力紛争法の原則はすでにあるのであるから、兵器の仕様は免責の理由にならない、と簡単な条項を議定書にすればよいといった簡単な話ではないのか?

「国際人道法(武力紛争法)の既存原則をそのまま適用し、『兵器の仕様を免責の理由にしない』と一条追加すれば済むのではないか」という指摘は、法論理としては極めて明快であり、実際にジュネーブ条約追加議定書の検討会議(CCW-GGE)等でも一部の国から主張されてきた立場です。

しかし、グローバル・ガバナンス論の観点から見ると、「事後的な責任帰属の原則」だけでは自律型致死兵器(LAWS)の破滅的リスクを防止・抑止できない構造的限界が存在します。条項を1行足すだけでは済まない理由は、主に以下の4点に集約されます。

1. 「責任の空白」が生じ、抑止力として機能しない

武力紛争法は「責任を負うべき人間」が存在することを前提に組み立てられています。しかし、高度な自律AI兵器が戦場で誤爆や民間人虐殺を引き起こした場合、法的な因果関係の特定が極めて困難になります。

  • 責任追及の困難: 現場の指揮官は「AIの推奨アルゴリズムに従っただけ」、開発者は「意図しない創発的挙動・未知の環境要因によるバグ」、国家は「兵器の仕様上の瑕疵ではなく戦況の不可抗力」と主張し合い、刑法・国際法上の故意や過失(Mens Rea)を立証することが事実上不可能になります。
  • 抑止の不全: 個人を戦争犯罪人として裁けない法体系は、事前に違法行為を思いとどまらせる抑止力を失います。

2. 紛争の「超高速化」と不可逆な破壊

武力紛争法は基本的に「違反行為を犯した者を事後的に処罰・責任追及する」枠組みです。しかし、AI兵器同士の交戦では、人間の認知速度を遥かに超えるミリ秒単位で判断と攻撃が行われます。

  • フラッシュ・ウォー(偶発的暴走)の危険: 誤認検知や敵AIとの予期せぬ相互作用により、人間が介入する間もなく数分で壊滅的な打撃が完了し、全面戦争へエスカレートするリスクがあります。
  • 事後責任の無力さ: 生命の喪失や社会秩序の崩壊は不可逆であり、事後に「仕様は免責にならない」と宣言しても失われた人命や安定は回復できません。したがって、事後責任だけでなく、開発・配備の段階で物理的に「人間の介在(Meaningful Human Control)」を義務づける事前予防的な仕様規制が不可欠となります。

3. 「軍事目標主義」の解釈がアルゴリズム化できない

武力紛争法の根幹である「区別原則(文民と戦闘員の区別)」や「比例原則(付随的被害が軍事的利益を超えないこと)」は、高度な倫理的・文脈的判断を要します。

原則現場における判断の性質AI実装における限界
区別原則降伏の意思表示(白旗、挙手)、負傷して戦闘能力を失った者(ホース・デ・コンバ)の認識。センサーデータ(体格、所持品、赤外線)のみから「敵意」や「降伏の意図」を確実に判定することは極めて難しく、文民を誤認するリスクが構造的に残る。
比例原則「得られる軍事的利益」と「予期される市民の犠牲」の天秤。状況に依存する極めて主観的・価値判断的な評価であり、数式やアルゴリズムに普遍的な基準として落とし込むことができない。

「法を守る仕様にせよ」と命じるだけでは、そもそも現代の技術水準においてこれらの法的概念をコード化する合意すら存在しないため、実効性を持ちません。

4. 境界線の曖昧さ(デュアルユース性)

「兵器の仕様」を単純に括れない技術的背景があります。民生用のドローン、監視カメラ、自動運転車の物体認識アルゴリズムに、爆薬を搭載して標的追跡コードを数行追加するだけで、即座に自律攻撃兵器へ転用可能です。

単に「違法な兵器仕様は免責しない」とするだけでは、何が兵器開発であり、何が平和的利用のAI研究なのかの線引きができず、国家間の抜け穴やグレーゾーンを放置することになります。

結論

武力紛争法の原則は維持されるべき最低限の防壁ですが、それらは「人間が判断し、人間が引き金を引き、人間が責任を負う」時代に作られた枠組みです。

AIという自律的・超高速・拡散性の高い技術に対しては、単なる法文上の「免責否定」にとどまらず、「システムにどのような人間の統制を残すか(Meaningful Human Controlの定義)」「核兵器や指揮統制システムからのAI自律性の完全排除」「計算資源や先端半導体の物理的トレーサビリティ」といった、ハードウェア・運用レベルに踏み込んだ新しい包括的ガバナンスが求められています。

「抑止の不全: 個人を戦争犯罪人として裁けない法体系は、事前に違法行為を思いとどまらせる抑止力を失います。」とはいっても、すでに巻き添えは国際法廷はもちろん軍法会議でも見て見ぬふりなのだから、この主張は要求水準が高すぎるのでないか?

戦場の実態として「巻き添え被害(コラテラル・ダメージ)に対する不処罰」が常態化しているという指摘は、国際法・安全保障研究におけるリアリズム(現実主義)の核心を突いています。

米軍をはじめとする近代軍隊の誤爆事案(例えば2021年のカブールでのドローン誤爆による文民10名死亡事件)でも、内部調査で「手続き上の過失はあったが法違反や犯罪ではない」とされ、司令官や操作員が軍法会議で処罰されることは稀でした。

この冷厳な現実を前提に置いたとき、なぜ自律型AI兵器の文脈で「個人処罰による抑止」がなお持ち出され、議論されるのか。問題の力学は「現状への過大評価」ではなく、「責任の形骸化の質がさらに一段落ちること」への懸念にあります。

1. 「言い訳の制度化」と心理的歯止めの完全な消滅

従来の人間による作戦でも免責が多発しているとはいえ、そこには最低限の「摩擦」が存在していました。

  • 人間の心理的負荷と政治的コスト: 巻き添えを出せば、内部告発のリスク、報道機関による追及、議会公聴会、あるいは作戦担当者の個人的な良心の呵責が生じます。これらは司令官に対して「巻き添えを極力減らす手続きを踏んだという外形(交戦規定=ROEの遵守)」を整えさせる抑止力として、弱毒ながらも機能していました。
  • アルゴリズムによる「免責の自動化」: システムが完全自律化すると、「機械が最適な標的と算出した」「データフィードの予測値に従った」という完璧な合理的口実(Plausible Deniability)が最初から手に入ります。これにより、人間が巻き添えを躊躇したり作戦を再考したりする心理的・手続き的コストがゼロになります。

現状が「機能不全を起こしている抑止」だとしても、自律化はそれを「完全に消滅した免責」へとスライドさせる点に質的な違いがあります。

2. 国際政治経済・ガバナンス論における「論点の反転」

「すでに人間すら裁けていない」という事実は、実はグローバル・ガバナンス論において「だからこそ、武力紛争法の事後処罰モデルに頼る設計そのものが破綻している」という強力な論拠へと反転します。

規制アプローチ前提とする機能現実の限界ガバナンス上の帰結
事後処罰モデル

(既存の法原則+仕様の免責否定)
違反者を特定・処罰し、将来の違反を抑止する。人間同士の紛争ですら見て見ぬふりが横行。AIが介在すれば立証はさらに不可能。規制として機能しない。「形だけの法」となり、大国の暴走を追認する結果になる。
事前予防モデル

(ハードウェア・配備の構造規制)
人間が責任を負えないシステムそのものの開発・配備を物理的に制限する。検証の難しさはあるが、半導体サプライチェーンや運用プロトコルを縛る。唯一実効性を持ちうる方向性。 事後処罰が効かないからこそ、手前で蛇口を閉める必要がある。

「個人を裁く抑止力が消える」という議論は、理想主義的な処罰を夢見ているのではなく、「人間ですら処罰できない脆弱な法体系の上に、責任を煙に巻くAIを野放しにすれば、完全な無法地帯が出現する」という構造的破綻を証明するための論理として機能しています。

3. なぜ既存の法原則の一行追加では済まないのかの補強

質問者が指摘した「兵器の仕様は免責にならないと一条追加すればよい」という案が抱える最大の弱点は、まさにその「人間すら裁けない現実」にあります。

免責否定の条文を付け足しても、現場では「仕様のせいではなく、戦場の不可抗力(フォグ・オブ・ウォー)である」と処理され、これまで人間が起こした巻き添えと同じように「見て見ぬふり」の引き出しにしまわれて終わりです。

したがって、ガバナンス論の結論としては「事後的に誰かを裁くための文言を整える」ことではなく、「巻き添えを不可避とするような自律攻撃システムを戦場に出させないための物理的・制度的足枷(Meaningful Human Controlの義務付けなど)をどう築くか」という予防的ガバナンスへ力点を移すことこそが不可欠となります。

期末試験チャレンジ 研究各論(グローバル・ガバナンス)2026年度前期

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Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2026前期

ある国において基本的な人権が守られていない場合、外国が干渉してでも守らせるべき人権とはどの分野の人権であるとあなたは考えるか。なぜ干渉するべきであるのかの理由を明らかにして議論しなさい。なお、ここでの「干渉」とは言葉だけの単なる説得にとどまらず、経済的、軍事的、または社会的な制裁を伴うものとする。

国家主権を制限し、制裁や軍事行動を伴う外部からの干渉が正当化されるか否かは、「干渉によって防がれる被害の総量」が「干渉そのものが生み出す直接的・間接的なコストや破壊の総量」を確実に上回るかという損益計算によって判断されるべきである。

この観点に基づけば、干渉してでも守らせるべき人権の分野は極めて限定的であり、具体的には「集団殺害(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪、大規模な民族浄化などから免れ、生命を維持する権利(身体の安全と生存権の核心部分)」に限定される。

干渉の対象を生命・生存の核心に限定する根拠

表現の自由や参政権といった政治的・社会的権利も人間の幸福にとって重要である。しかし、それらを侵害されている社会に対して経済制裁や武力介入を行った場合、生じる弊害は介入のメリットを上回ることが多い。

  • 経済制裁の副次的被害: 包括的な経済制裁は、特権階級ではなく一般市民の困窮、乳幼児死亡率の上昇、医療崩壊といった広範な苦痛をもたらす。
  • 軍事介入に伴う破壊: 武力行使は介入国・被介入国双方の人的損害、インフラの破壊、治安崩壊による内戦の長期化(権力の空白による無秩序)を誘発するリスクが高い。

したがって、政治体制の不備や限定的な自由の制限に対して外部が強制力を行使することは、是正しようとする不正よりも大きな苦痛を生み出す公算が高い。これに対し、国家権力による大規模な住民虐殺のように「放置すれば数万人以上の命が確実に奪われる事態」においては、介入によるコストを考慮しても、不作為による人命被害の方が圧倒的に甚大となるため、例外的に干渉が正当化される。

干渉を行うべき理由:長期的・全地球的な便益の最大化

なぜ一国の主権侵害というリスクを冒してまで干渉すべきなのか。その理由は、主権国家体系そのものがもたらす安定性と、個人の生存という基盤的価値を天秤にかけた結果にある。

  • 幸福の絶対的前提としての生存: あらゆる人間の福利や活動は「生命が保たれていること」を前提とする。生命の喪失や身体の不可逆的な破壊は、将来にわたるすべての幸福と機会をゼロにする最大級の損害であり、この防止はあらゆる政策課題に優先する。
  • 国際公共財としての安定と波及被害の最小化: 自国民を大規模に虐殺・迫害する国家を放置すると、大量の難民流出、越境する武装勢力の台頭、周辺国の治安悪化や経済的負担の増大といった深刻な負の外部性が周辺地域全体へ波及する。迅速な抑止は、国際社会全体が被る将来の不利益を未然に防ぐ。
  • 抑止効果による将来の苦痛削減: 重大な人道犯罪に対して国際社会が実力行使や厳しい制裁を課す前例を作ることは、他国の指導者に対する強力なディスインセンティブとなり、将来発生しうる同種の惨劇を未然に防ぐ予防的効果を持つ。

干渉を正当化するための運用上の条件

目的が人権擁護であっても、結果として総被害を拡大させては正当化されない。したがって、実際の干渉に際しては以下の厳格な検証が不可欠である。

条件評価基準
比例性(手段の妥当性)投入される制裁・武力の規模が、防ごうとする人道被害に見合っていること。無差別な全面制裁ではなく、支配層を標的としたスマート制裁や限定的軍事行動を優先する。
純便益の蓋然性介入後の治安維持や復興見通しを含め、干渉を実施したシナリオの方が、不作為のシナリオよりも被害が少ないと合理的に予測できること。
最後の手段外交的圧力や限定的措置では大惨事を回避できない切迫した状態であること。

以上の通り、外国が強制力を伴って干渉すべき人権は「大規模な暴力から免れる生命・生存の権利」に限られる。主権の尊重や平和の維持というルールも元来は人類全体の安定と幸福のために存在するものであり、自国民の大規模虐殺を行う国家に対しては、被害の極小化という観点から主権の一時的制限が正当化される。

生命が大規模に脅かされる場合には軍事干渉すべきである、という主旨には賛成であるが、それは損益計算とは呼ばないのでないか。また、自国民の人権が脅かされる場合には外交的保護権を行使し、経済制裁を行使しなければならない場合もあるのでないか。

提起された2つの論点は、国家による対外干渉や人権擁護の実務において極めて重要な核心を突いている。それぞれの観点について整理して検討する。

1. 「生命の危機に対する介入」は損益計算なのか

日常会話において「損益計算」や「費用対効果」という表現を使うと、人命を金銭的なコストのように換算する冷淡な印象を与えやすい。しかし、政策決定や政治哲学の文脈においては、「どちらの選択肢が、より多くの苦痛や惨禍を防げるかという結果の厳密な比較評価」そのものを意味する。

人道危機における介入判断では、動機の純粋さ(「人々を救いたい」という義務感)だけでは正当化されない現実がある。

  • 介入が招く代償: 軍事介入を行えば、介入軍兵士の戦死、誤爆による民間人の犠牲、インフラ破壊、さらに政権崩壊後の治安空白による長期的な泥沼化(2003年のイラク戦争や2011年のリビア介入後の混乱など)といった巨大な害悪が必然的に生じる。
  • 不作為が招く代償: 一方で介入しなければ、ルワンダ虐殺のように数十万〜数百万人規模の生命が失われる。

このとき行われるのは、「介入によって生じる破壊の量」と「介入しないことによって生じる殺戮の量」を冷徹に突き合わせ、どちらがより被害の総量を小さく抑えられるかを見極める作業である。どれほど崇高な人権侵害の是正が目的であっても、介入した結果として内戦が激化し、かえって犠牲者が増える見通しが高いならば、その介入は正当化されない。生命の救済を第一に掲げるからこそ、感情や理念だけで突入せず、結果として生じる被害の多寡を精緻に計量する視点が不可欠となる。

2. 自国民の保護(外交的保護権)と経済制裁の行使

外国にいる自国民の権利が侵害された際、国家が外交的保護権を行使し、場合によっては経済制裁を科すことは、国際法上も国家の責務としても正当な選択肢である。この点も「どの人権を守るべきか」という枠組みの中で合理的に位置づけられる。

国家という制度が国民から支持され、税や兵役といった負担を引き受けさせる基盤は、「国家が国民の生命・財産・自由を最終的に保証する」という信託関係にある。

  • 制度的信頼の維持: 自国民が外国で不当に拘束・拷問されたり、資産を不法に接収されたりした際に国家が放置すれば、国民と国家の間の基本的信頼が崩壊し、社会契約そのものが機能不全に陥る。
  • 対外的な抑止力: 自国民への不法行為に対して制裁措置を辞さない姿勢を示すことは、他国が将来的に自国民を標的にした恣意的な権利侵害を行うインセンティブを削ぐ。

ただし、自国民保護を理由とした制裁であっても、その発動には「比例原則(バランス)」が強く求められる。

措置の種類主なリスク・副作用妥当性の判断基準
個別・標的型制裁(スマートサンクション)人権侵害に関与した相手国高官の資産凍結、渡航制限など。一般市民への巻き添えが少ない。自国民の権利侵害に対する対抗措置として、バランスが取れており正当化されやすい。
包括的経済制裁(通商停止・金融封鎖など)相手国の一般市民の雇用・生活を直撃し、自国の企業や消費者にも経済的打撃が跳ね返る。自国民数人の権利救済のために、双方の無辜の市民数万人〜数十万人の生活を困窮させることは、全体の厚生を著しく損なうため避けるべきとされる。

自国民を保護するための外交的保護権の行使や対抗措置は不可欠な手段であるが、その手段がもたらす広範な影響を評価し、救済対象の損害と制裁による打撃が釣り合う「標的を絞った措置」を選択することが重要となる。

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在日カナダ人の活動と昭和初期の宗教・教育 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第10章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 第8章、第9章に引き続き、今回はヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第10章をお届けします。この章では、外交の表舞台から少し離れ、当時の日本社会で活動していたカナダ人宣教師たちの実態や、彼が深く観察した日本の宗教、社会奉仕、そして教育事情が鮮明に描かれています。 1. 在日カナダ人宣教師たち…
AI(人工知能)
2020年に始まった新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミック(世界的流行)は、人々を自宅に閉じ込めた。街から人影は消え、鉄道は空気を運び、国境をまたいだ人の移動はほぼ途絶えた。対面の会話はマスク越しになされ、誰かが咳をするのが聞こえると皆、恐怖感に襲われた。これが新しいノーマルなのだ、と信じた人もいたが、ソーシャルディスタンスはとりあえず3年間で終止した。 今回のテーマは、AIがもたらす社会への脅威を三つ…
絶対兵器
ウランという名の金属がある。その同位体であるウラン235の原子核は分裂しやすく、分裂すると、熱エネルギーが発生する。これに伴い、中性子という粒子が放たれ、それが別の原子核にぶつかると、その原子核も分裂する。こうした核分裂の連鎖反応が制御されずに繰り返されれば核爆発になる。核爆発を軍事上の目的で人工的に起こす装置が核兵器である。今回のテーマは、核兵器の開発とそれがもたらした核抑止とはどのようなものか説…
覇権
https://youtu.be/vC9HatOkTxg 覇権国は古代ギリシャのヘゲモンが語源で、他国を軍事的に支配する国のことである。それを好意的に解釈して、人々を導く指導国のことと理解することもある。今回のテーマは、「次の覇権国」について論じなさい、である。 大国の興亡は権力者たちのむなしい栄枯盛衰にすぎないと思われるかもしれない。しかし、これもグローバルガバナンスと大いに関係がある。 現実主義の父は誰かと問えば、マキアベ…
『キャンプX 実録・スパイ養成学校』をアマプラで観る
[このブログは2024年5月22日にnote.comで公開された。] 本業から少し外れた(?)関心から書く。まあ、5月22日の演習で観るつもりだから、これはあくまで本来の研究テーマから外れたという意味だ。 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07Z8G2PNB/ref=atv_dp_share_cu_r キャンプXは第二次世界大戦中にイギリスが設けたスパイ訓練キャンプだ。ヒトラーがバトル・オブ・ブリテンを仕掛けてきたので、本土が占領される可能性が…

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期末試験チャレンジ  研究各論(国際政治経済)2026年度前期

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ノーベル平和賞
ノーベル賞には権威がある。しかし、選考がつねに正しいわけでない。功績とされるもののなかには、平和に貢献しなかったもの、動機が不純なもの、なぜ平和への貢献であるのか分からないもの、もある。今回のテーマは、最新のノーベル平和賞受賞者について、経歴、授賞の理由とされた活動、そしてあなた自身の評価を書きなさい、である。 アルフレッド・ノーベルは1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれた。彼が巨万の富を…
日系カナダ人の強制移住
(表紙の画像はAIによって作成された) 日系人にアメリカ合衆国政府は謝罪と賠償をした、という。実はカナダも自国日系人に謝罪と賠償をした。 日本ではこうした報道は他人事のように扱われる。たしかに、日系人はすでに他国の市民だったわけだから、日本政府にとっては保護義務の対象外だった。特定の先祖を持つ市民だけを差別して強制移住させたカナダ政府が非難されるのは普遍的人権の思想による。 第二次世界大戦について、日本…
主権国家
https://youtu.be/ISyyZzAIR4Y なぜ存在するのか?、と、すでに存在する国家について問うのは哲学者くらいである。アリストテレスは、国家は人々が「よく生きるために存在する」と述べた。他の動物と違い、人間は、善と悪から善を、正と不正から正を選ぶことができる。そして、他人とその選択を共有することができ、国家を作る。ゆえに人間は政治的(ポリス的、国家的)動物である、と彼は導く[1]。 このように、古代ギリシャの国家…
Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2025前期
アメリカ合衆国に対する日本の国際収支における「デジタル赤字」はなぜ拡大しているのか? そして、なぜそれは問題視されるのか? 具体例を挙げて、論理的に説明しなさい。 大要因とその問題点 1. はじめに 「デジタル赤字」とは、日本の国際収支統計における「サービス収支」のうち、通信・コンピュータ・情報サービスや著作権使用料など、デジタル関連の取引において支払額(輸入)が受取額(輸出)を上回っている状態を指す。202…
Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2024年度前期
カーボンフットプリント(CFP)という概念がある。「製品・サービス1のライフサイクルにおける温室効果ガス排出量をCO2量に換算し表示するもの」と定義される。 経済産業省と環境省によると、CFPは下のように算定される。 「CFPは製品のライフサイクル(原材料調達、生産、流通・販売、使用・維持管理、廃棄・リサイクル)におけるGHG排出量をCO2量に換算し表示するものです。以下の流れで算定します。 ① 算定対象製品のライフサイ…

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ルワンダ難民を救え!

(表紙の画像はAIによって作成された)

「外交筋」という表現がある。情報源をボカシているのは確かなのだが、ディープでそれなりに信頼できる情報というイメージだ。1994年春の虐殺から始まった悲劇については雲をつかむところがあり、犠牲者数数十万などという数字が独り歩きする。外務省の記録を読むと、それなりに具体的な情報が外交筋では流れていたことに驚かされる。たとえば、佐藤ギン子駐ケニア大使(ルワンダ兼任)はナイロビから詳しい情報を寄せていた(佐藤ギン子、「ルワンダ情勢」、1994年4月8日、「ルワンダ情勢(1994年4月~6月)」(2025-0820)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0820.pdf、2026年9月9日閲覧。44-45ページ。)。

教科書での関連する記述

教科書

アフリカでも、1991年にはソマリア、94年にはルワンダなどで部族間紛争がおき、ルワンダでは敵対する少数部族の大規模虐殺がおこなわれた。

伊東光晴、『最新政治・経済』、新訂版、実教出版、2023年、p. 58。

冷戦後の最重要事件の一つとされるにもかかわらず、高校生はこれしか教えられない。数字もないのでイメージもわかない。

実態はルワンダでの大規模虐殺で終わるものでなく、メインステージをコンゴ民主共和国(当時はザイール)に移して戦われたアフリカ大戦の序幕にすぎなかった。それは21世紀になっても続き、傷はいえていない。

こっちも関連記述。

教科書

湾岸戦争後の1991(平成3)年、ペルシア湾に海上自衛隊の掃海部隊が派遣され、自衛隊の海外派遣の違憲性などをめぐって意見が対立したが、翌1992(平成4)年に宮沢喜一内閣のもとでPKO協力法が成立し、自衛隊の海外派遣が可能になった。その後、自衛隊は1993年にモザンビーク、94年にザイール(コンゴ民主共和国)、96年にゴラン高原、2002年に東ティモールなど派遣されている。
佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 360、n. 2。

闇の奥

日本政府は人道的な国際救援活動として、コンゴ民主共和国におけるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民キャンプに自衛隊を派遣することにした。当時の難民高等弁務官は日本人の緒方貞子だった。

1994年7月から日本は人的支援の検討を始めた。

「闇の奥」という題の小説があったと思う。調査を命じられた者たちはそんなイメージでアフリカを訪れたかもしれない。

四宮信隆アフリカ第一課長を団長とする外務省の調査団は8月2日に出発した(アフリカ第一課、「「ルワンダ難民ミッション」の派遣について」、1994年8月1日、「ルワンダ難民救援」(2025-0821)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0821.pdf、2026年9月9日閲覧。199ページ。)。ナイロビ、エンテベ、キガリ、ゴマ、ンガラなどを回る9日間の予定だった。

日本側にはすでに、ゴマに100万人の難民がいて、2万人近くがコレラなどのため死亡した、と伝わっていた。難民には虐殺に関わったフトゥ族の指導者も含まれる、との情報もあった(分析第二課、「ルワンダ・ブルンディ情勢」、1994年8月5日、「ルワンダ難民救援」(2025-0821)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0821.pdf、2026年9月9日閲覧。220-222ページ。)。

8月10日に調査団は駐ケニア大使からの公電として生々しい報告を送った(佐藤ギン子、「ルワンダ難民支援ミッション(報告)(別電4)」、1994年8月10日、「ルワンダ難民救援」(2025-0821)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0821.pdf、2026年9月9日閲覧。234-246ページ。)。

これを受け、政府は自己完結性を持つ、すなわち単独であらゆることをこなすことができる、自衛隊を派遣する方針を定めた。そして、2回目となる実務調査団を防衛庁と共同で派遣した。

山崎隆一郎総合政策局審議官を団長とする実務調査団は8月22日に出発した。ゴマを中心に9日間の旅程だった。コンゴ民主共和国のゴマで半年間、医療・給水活動を自衛隊がおこなうことが適当である、と報告した(「ルワンダ難民支援実務調査団報告書」、[1994年8月]、「ルワンダ難民救援」(2025-0822)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0822.pdf、2026年9月10日閲覧。76-79ページ。)。ただし、現地治安の悪化についても現地調査団は耳にしていた。

不都合な真実

ところが、別方面からぶっそうな情報が同時期に寄せられていた。

8月29日、在アメリカ合衆国日本国大使館のイワサキ防衛駐在官は某所を訪問した。ゴマでは元ルワンダ軍が組織を維持し、高度な武装を誇っている、という情報を得た(栗山尚一、「ルワンダ難民支援(防衛情報)」、1994年8月29日、「ルワンダ難民救援」(2025-0822)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0822.pdf、2026年9月10日閲覧。132-133ページ。)。

9月1日、柳沢伯夫外務政務次官はジュネーブで緒方難民高等弁務官と会談した。緒方もキャンプに軍人がいることを認め、その家族も軍人とともにいることを嘆いた(遠藤実、「ヤナギサワ政務次官とオガタHCとのこん談」、1994年9月2日、「ルワンダ難民救援」(2025-0822)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0822.pdf、2026年9月10日閲覧。134-135ページ。)。

コフィ・アナンが兵員を増派しなかった、とルワンダをめぐる国連の対応は批判される。増派は難しかったのだろう。しかし、難民とキャンプの武装解除はもっとできたはずだった。責任の所在はフトゥに肩入れしたフランスとコンゴ民主共和国にあったのだろう。

防衛庁は現地の治安についてさらに興味を持ったらしい。在米大使館の自衛官が再度、某機関から聴取した。某機関は治安情報に強いようだった。「ゆめをいだくな」というアドバイスは印象的だ(栗山尚一、「ルワンダ難民(米[黒塗り]内話)(防衛情報)」、1994年9月6日、「ルワンダ難民救援」(2025-0822)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0822.pdf、2026年9月10日閲覧。141-143ページ。)。では、夢のない難民支援などあるのだろうか?

9月13日の閣議で1994年いっぱいのゴマへの自衛隊員470人の派遣が決まった。治安情勢にかんがみ、銃器が装備されることになった。

参考までに、9月29日、河野洋平外務大臣が米国防総省から受けたブリーフィングを紹介する(小和田恒、「ルワンダ情勢(コウノ大臣への米側ブリーフ)」、1994年9月30日、「ルワンダ難民救援」(2025-0823)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0823.pdf、2026年9月10日閲覧。51-58ページ。)。なお、そのなかに当時、ルワンダ副大統領だったポール・カガメはウガンダ生まれという情報が含まれているが、これは誤りとされている。

岡村善文連絡調整官が貴重な活動日誌を残している。その10月29日の部分には何が書かれているだろうか?(岡村善文、「活動日誌」、[1994年9月29日?]、「ルワンダ難民救援」(2025-0824)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0824.pdf、2026年9月10日閲覧。120-121ページ。)

撤収とその後

日本政府は難民救援の期間を延長しないことに決めた(総理府、外務省、防衛庁、「ルワンダ難民救援国際平和業務の実施期間と引継ぎについて」、1994年11月7日、「ルワンダ難民救援」(2025-0824)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2025/2025-0824.pdf、2026年9月10日閲覧。188-191ページ。)。治安の悪化が原因でないと述べているが、たしかに悪化はしていなかった。旧政府軍という潜在的な脅威は派遣まえから存在したからだ。

他国の派遣団もつぎつぎと撤退した。衛生状態の改善という目標は達成されたのかもしれない。しかし、難民の武装解除について国際社会は何もできなかった。それは悲劇の種であり、1996年秋に爆発的な災厄を招くことになる。旧政府軍はルワンダへの反抗をあきらめなかった。その企みを粉砕するため、ルワンダ政府軍とトゥツィのそのパートナーは難民キャンプを襲撃し、多くの人命を奪うのだ。

20世紀最大の悲劇の一つを人類は予感しながら防げなかった。

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満洲事変は居留民保護の仕組みで拡大
(表紙の画像はAIによって作成された) 外国で身の危険を感じたら、最後は出国しなければならない。 しかし、かつては違いった。居残るのだ。「私はローマ人だ!」と言えばレギオンが守ってくれた。自国民保護は世界で認められた権利だった。 紛争のニュースを見ると、満洲事変の様子を私は思い浮かべる。満洲開拓は世界でよくある入植の一つだった。引っ越しでなく入植なのは、まわりに自分たちと同じ文化の集団がいないからだ。 二…
戦前日本の素顔と外交官の余暇 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第11章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 第10章に引き続き、ヒュー・L・キーンリーサイド回顧録の第11章をお届けします。この章では、厳しい外交の現場から少し離れ、筆者自身の豊かな余暇の過ごし方や、戦前の日本の文化、風習、そして交流のあった多彩な人々とのエピソードが生き生きと描かれています。 1. 日本文化への傾倒と、スポ…
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『キャンプX 実録・スパイ養成学校』をアマプラで観る
[このブログは2024年5月22日にnote.comで公開された。] 本業から少し外れた(?)関心から書く。まあ、5月22日の演習で観るつもりだから、これはあくまで本来の研究テーマから外れたという意味だ。 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07Z8G2PNB/ref=atv_dp_share_cu_r キャンプXは第二次世界大戦中にイギリスが設けたスパイ訓練キャンプだ。ヒトラーがバトル・オブ・ブリテンを仕掛けてきたので、本土が占領される可能性が…
Geminiさんの答案 研究各論(グローバル・ガバナンス)2022年度前期
国際連合が存在するのに、なぜ、同盟は必要であるのか? 国際連合憲章の諸規定と具体的な国際情勢に言及しながら論じなさい。 1. 国連憲章第51条:同盟の法的根拠 国連憲章は本来、すべての加盟国が協力して侵略を防ぐ**「集団安全保障」を理想としています。しかし、その限界を自ら認める形で第51条**を置いています。 憲章第51条: 加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な…

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ウルグアイラウンドとコメ関税化

(表紙の画像はAIによって作成された)

ウルグアイラウンドの妥結は1993年12月で、このときは関税化は受け入れておらず、ミニマムアクセスをつうじて義務的に輸入拡大をした。

20世紀末、輸入拡大を止めるためにコメの関税化を日本は受けいれ、現在は1kgあたり341円の関税が課されている。ただし、これはあまりに高く、輸入は不可能だ。

この高関税によって割を食わされているのは小売でコメを買う消費者で、外食産業はうまいことをやって安いコメを使っている。

公正な米価、高い自給率、そして農家の所得補償はトリレンマであり、現在の枠組みでは解決できない。現実的に改善する方法は、流通を透明化して消費者を守り、外国への輸出で自給率をカバーし、高品質品の価格安定で農業を持続可能にすることだ。

教科書での関連する記述

教科書

GATTは、貿易における自由・無差別の原則をかかげ、関税引き下げや輸入制限撤廃を多角的分野で協議する多角的貿易交渉(ラウンド)によって貿易自由化を推進した。1970年代までに7回のラウンドがおこなわれ、第8回のウルグアイ=ラウンドでは、サービス、知的財産権、農産物といった新たな貿易分野の自由化と国際ルールづくりが課題となった。1995年には、GATTにかわり、これらの分野も調整対象とするWTO(世界貿易機関)が発足した。WTOは、協定であったGATTとは異なり、貿易紛争処理のルールと決定機構をもつ強力な国際機関となった。

だが、2001年からのドーハ=ラウンドでは、農産物、開発支援、知的財産権などをめぐって先進国と途上国との対立が深刻化し、2011年には包括合意を断念した。GATT以来の方針であった多角的貿易交渉が行きづまり、WTOは困難に直面している。

伊東光晴、『最新政治・経済』、新訂版、実教出版、2023年、p. 127。

自由化とは一言で言えば市場メカニズムを働かせることだ。安ければ買い、高ければ売ることで需給を調整することだ。コメでそれができなかったのは農家の所得補償のためだ。当時は非自民の細川護熙内閣だったが、消費者を犠牲にして農家を優遇するのは与野党のコンセンサスだった。なぜなら、製造業は貿易の自由化を望み、経営者団体も労働組合もウルグアイラウンドを至上命題としたからだ。

そもそもウルグアイラウンドとは?

GATT(貿易及び関税に関する一般協定)における最後の関税引き下げ交渉(ラウンド)がウルグアイラウンドであり、1986年に始まった。このときウルグアイでブンダデルエステ宣言が採択されたのが名称の由来だ。1991年のダンケル・テキスト、1992年のブレアハウス合意によって交渉は進捗した。ラウンドの妥結は1993年12月で、合意文書である世界貿易機関を設立するマラケシュ協定および附属文書は翌年4月に作成された。

合意事項は農業以外の財・サービスやWTO(世界貿易機関)の設立についてのものを含むが、ここではコメの話題に絞りたい。

ロンドン軍縮会議と何が違ったか?

1930年のロンドン軍縮会議は、その合意が日本国内で強い反発を受け、軍部の暴走を招く原因になった。すなわち、重巡洋艦のトン数について、英米の7割という訓令を与えられながら、それを割ったのだ。おそらく日本の手のうちを読みつくした英米が、少し足らなくても要求を呑むだろう。ならば、ギリギリまで妥協させよう、という腹積もりだったのだろう。

このように、国際会議は自国がのめる範囲にない結果をもたらすことがある。そのような結果は持続可能でないので、後世に影響することも多い。

ウルグアイラウンドにも、開発途上国は敗北感を抱いただろう。それを挽回しようと、WTOになっての次のラウンドに期待をつないだが、結局そうした試みはすべて失敗した。

日本はどうだったろうか? 関税化をのまされなかっただけで、とりあえず成功だったのだろうか? 外国産米に市場が席巻されることもなく、結果オーライだったのだろうか?

実際は不協和音も聞かれなくはなかったのだが、合意は日本社会の許容範囲内だった。

以下ではそのことを外務省の公文書で確認する。

外務省は自主的に公開した一部の文書を「戦後外交記録公開目録・史料概要」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/ikan.html)のウェブサイトにアップロードしている。2024年12月26日の公開では「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結1)」(2024-0581)と「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結2)」(2024-0582)のファイルがアップロードされた(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/index.pdf)。

静かな受けとめ

分かりやすさのために新しいほうから古いほうへと語ることにする。

コメのミニマムアクセスという交渉結果を日本国内は静かに受けとめた。

もっとも、細川内閣の一角だった社会党はドゥニー議長の調停案を批判した。これは同党の政権離脱にはつながらなかった(社会党、「中央執行委員会委員長まとめ」、1993年12月14日、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結1)」(2024-0581)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0581.pdf、2026年9月8日閲覧。130ページ。)。

公明党の書記長も外務事務次官に苦言を呈した。「追加的譲許」について外務省から事前に説明がなかった、というのだ(外務省、「UR」、1993年12月16日、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結2)」(2024-0582)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0582.pdf、2026年9月8日閲覧。256ページ。)。

大所帯の社会党と公明党は議席数で連立与党を支えながら、重要ポストから外されていたので存在をアピールしたわけだ。将来、社会党が連立から離脱する伏線だったのだろう。

ドゥニー調整案とは?

「追加的譲許」なる分かりにくい言葉が出てきたので、それを解説する。それはドゥニー調整案にでてくる言葉で、同案こそがウルグアイラウンド妥結をめぐる日本の山場を象徴するものだった。

私自身が解説するよりも、経済局審議官が分かりやすく解説してくれていたので、それを参照してもらいたい。関税化に応じない国は特例措置としてのミニマムアクセスを選ぶことになる。ミニマムアクセスを選んだ国も途中で関税化に乗り換えることができる(外務省、「記者ブリーフ」、[1993年12月]、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結1)」(2024-0581)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0581.pdf、2026年9月8日閲覧。285-344ページ)。それがドゥニー調整案だった。関税化というルールは受けられないが、多少の代償は払ってもよい、というメンタリティだ。このメンタリティは日本の世論と合致したからミニマム・アクセスを選んだが、将来、損得勘定をし直したら、損だったと判明した。そこで、日本は乗り換えることになる。

追加的譲許についてもここに書いてある。特例措置の6年間が終わったあともそれを続けようとする場合、何らかの譲許が必要だということだ。審議官はそれを例示しているが、どのようなことかはご自身で確認してもらいたい。「落ち度」について審議官が問われたという記述がある。ドゥニー調整案全文を交渉担当者は読んでいたはずだが、骨子には書いておらず、12月9日に全文が公表されて、総理大臣も、聞いてなかった、とコメントしたということだろう。ドゥニー調整案の附属書5(仮訳)はここだ(外務省、「附属書5(仮訳)」、[1993年12月]、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結1)」(2024-0581)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0581.pdf、2026年9月8日閲覧。217-220ページ。)。追加的譲許は第A部4にみえる。

調整案の公表と同じ日、ピーター・D・サザーランドGATT事務局長は、細川護熙総理大臣宛に書簡を送った。それは調整案の受け入れを求めるものだったが、環境など農業における非貿易的関心が日本の立場だという認識を記していた(Peter D. Sutherland、1993年12月9日、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結2)」(2024-0582)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0582.pdf、2026年9月8日閲覧。302ページ。)。この関心は、国内で農業の多面的機能と呼ばれるものだろう。

ここで、羽田孜外務大臣の出番がやってきた。急遽、ジュネーブに飛び、12月11日、サザーランド事務局長と会談した(遠藤実、「UR農業交渉(ハタ副総理兼外務大臣とサザーランド事務局長との会談)」、1993年12月12日、「GATT/ウルグアイ・ラウンド(実質妥結1)」(2024-0581)、戦後外交記録、https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/pdfs/2024/2024-0581.pdf、2026年9月8日閲覧。257-259ページ。)。同地ではドゥニー議長とも会談し、四極会合に出席した。

羽田大臣は12月12日昼にジュネーブをたち、翌日午前、成田に帰着した。14日未明の閣議で羽田は訪寿の報告をおこない、閣議はドゥニー調整案の受け入れを決定した。12月15日、ジュネーブでウルグアイラウンドは妥結した。

まとめ

その後、関税化への乗り換えはあったものの、現在はコメの輸入は下のようになっている。

  • 1kg当たり341円の関税
  • ミニマムアクセス約77万トン
  • 二国間・多国間協定

ウルグアイラウンド妥結後には、公共事業などさまざまな農業支援がおこなわれた。

コメ農家の保護という観点では日本政府はその目標を十分に達成している。他方、当時から言われていたコメ生産の体質強化という課題はまったく進んでいない。それは単なる気休めの言葉なのだ。

当時は、政治家は二流でも、官僚は一流、と真顔で語られていたが、もう官僚を弁護する者はいないだろう。政治家の質は国民の質であるので、政治家だけを批判するのも不適切だ。ひとりひとり、自分の顔を鏡でよく見るべきなのだ。

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脆弱国家
脆弱国家はフラジャイル・ステイトと英語でいうが、ワレモノ国家という意味である。国家が壊れてしまっては国民を守ることができず、また、国土もバラバラになってしまう。今回のテーマは、脆弱国家とはどのようなものかを解説し、紛争との関係を議論しなさい、である。 現代における世界の紛争はどのような状況にあるのか? スウェーデンにある世界最古の大学の一つ、ウプサラ大学、に最新の紛争データを作成し、それを分析するプ…
ベトナム戦争
なぜ、アメリカ合衆国はベトナムに介入したのか? その説明の一つがドミノ理論である。1954年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は次の発言をした。 いわゆる“ドミノ倒し”の原理は知っているだろう。ここに一列に並べたドミノがある。最初のを倒せば、最後のまでどうなるかははっきりしている。あっという間に倒れていくのだ。―中略―したがって[ベトナムを]失うことになれば、自由世界には計り知れない打撃となる[1]。 共産主義…
カナダのテレビドラマ『Xカンパニー 戦火のスパイたち』(2015)を観た
[このブログは2024年5月31日にnote.comで公開された。] 先日はカナダのドキュメンタリー『キャンプX 実録・スパイ養成学校』を紹介した。 https://www.amazon.co.jp/dp/B07Z8GPCYC/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2LP8CM1EOW3CE&dib=eyJ2IjoiMSJ9.KqsSaXjtKE5HuN8t-M8yUg.HcV_R1iYlzo1fnG5Yx7gf1dU20Dn7EHtV0GAE3Z0ku0&dib_tag=se&keywords=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83…
Geminiさんの答案 研究各論(国際紛争)2023年後期
パレスチナをイスラエルから独立させて国家として扱うのと、現在の自治を維持または拡大するのとでは、どちらが真の平和に近づくと考えますか? あなたの答えとその答えを選んだ理由を書きなさい。 私の答え:パレスチナを独立国家として扱うこと 私は、現在の自治の維持や拡大よりも、**パレスチナをイスラエルから独立させて「国家」として扱うこと(二国家解決)**の方が、長期的には「真の平和」に近づくと考えます。 その答え…
領土保全
https://youtu.be/f6AEKT52dDg 領土保全は英語でテリトリアル・インテグリティという。インテグリティはここでは一体性や完全無欠の意味である。つまり、国境線は1ミリたりとも動かしてはならないという国際法の原則である。国際連盟規約にも、国際連合憲章にも掲げられていて、現代の国際社会における最重要の決まり事と言って言いすぎでない。ということで今回のテーマは、ベルサイユ体制下における領土紛争とそれらに対する諸…

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国際連合憲章における拒否権と人権

(表紙の画像はAIによって作成された)

国際連合憲章は80歳を超えた。短命に終わった国際連盟規約に比べれば長寿であることは言うまでもない。私にとっての驚きはそこではない。誕生とともに背負った大きな弱点をいままで背負ってよく続いた、という驚きだ。逆に言えば、国連憲章をアップデートしてくれるような新たなコンセンサスが国際社会で生まれなかった、ということでもある。

教科書での関連する記述

教科書

大西洋憲章を具体化するため、1944年8〜10月、米・英・ソ・中はダンバートン=オークス会議を開き、国際連合憲章の原案をまとめた。これが45年4〜6月のサンフランシスコ会議で採択され、同年10月に国際連合(United Nations)が発足した❶。原加盟国は51カ国で、本部はニューヨークにおかれた。国際連盟の理想主義が機能不全をまねいた反省から、国際連合では加盟国間の平等をはかりつつも、現実の力関係が制度に反映された。対等な全加盟国によって構成され、意思決定を多数決とする総会をおく一方で、安全保障理事会(安保理)には強い権限が与えられ、常任理事国である米・英・ソ・仏・中の5大国は拒否権を行使できた。また、経済制裁のみならず軍事的手段による紛争解決をおこなえるようにもなった。

❶ 1948年の第3回総会では、人種・性・宗教などによる差別を禁止した世界人権宣言が採択された。

木村靖二、岸本美緒、小松久男、『詳説世界史』、山川出版社、2024年、p. 314。

「軍事的手段による紛争解決」という書きかたに、私はすごい違和感がある。歴史の教科書なので、人類の歴史は戦争の歴史と考える歴史家が多いのだろう。

内容については、拒否権と人権に注目したのは納得がいく。以下でも、この2点に焦点を置く。

官僚たちのブレインチャイルド

国際連盟がダメで、国際連合は改善した、というのは大国の立場に立った身もふたもない話だ。拒否権は国連を五大国にとって無害にする拘束衣だからだ。

国土防衛で精一杯のイギリスをしり目に、アメリカ合衆国は国務省に戦後構想を練らせた。その責任者はレオ・パスボルスキだった。彼はユダヤ系・ウクライナ系の移民だった。ダンバートンオークス提案に至るまでの原案はほとんど彼の差配のもとでとりまとめられた。オーダーを受けた腕利きの仕立て屋が彼だった、ということだ。

アメリカ合衆国連邦議会の議会図書館(LOC)にパスボルスキの手にあった文書が所蔵されている。1944年10月4日付の”Work in the Field of International Organization in the Department of State Prior to October 1943″という文書もその一つだ。

そのAnnex Vである「国際機構特別小委員会」に書かれた1943年7月14日付「国際機構憲法草案」なるものが国連の胎児として確認できる。実は、これは常設国際機構は少数説として採用せず、”United Nations Council”または「連合国理事会」なるものを採用した。理事会は11か国から構成され、米英ソ中以外は地域別に小国の利益を代表する役割だった。

Annex VI「法的問題特別小委員会」は「国際的権利章典」の作成を精力的に進めた。権利章典という言葉は明らかにアメリカ合衆国憲法を意識した。権利は人格的権利・財産権・社会権・経済的権利・手続き的権利に分けられた。

Annex X「国際連合憲章起草部会」は、わずか半月または1か月後の1943年8月の初めに「国際連合憲章暫定草案」を作成した。ここで、拒否権と人権はどう扱われただろうか? 確認してもらいたい。

The Division of International Security and Organization, “Work in the Field of International Organization in the Department of State Prior to October 1943,” October 4, 1943, International Organizations State Department Work in International Organizations Prior to OC 1943, Subject File 1937-1953 (Box 5), Leo Pasvolsy Papers, Library of Congress.

モスクワ会議の衝撃

1943年10月にビャチェスラフ・モロトフ、アントニー・イーデン、そしてコーデル・ハルはモスクワで外相会議を開いた。成果の一つは国連構想だった。ところが国際機構は「すべての平和愛好国の主権平等の原則に基づき、大国か小国かを問わず、そうしたすべての国に加盟が開放され、国際の平和および安全のため」のものとされた。拒否権はむしろ不平等の傾向を助長するものであり、また、人権の目的は国際の平和および安全とはかぎられない。これらのギャップがその後の交渉の焦点となった。

1944年の秋口には大国間で国連構想を調整するダンバートンオークス会議が開かれた。米英ソ中が他の諸国家に共同提案するものだったから、国連憲章のたたき台と表現できる。

ダンバートンオークス。木下郁夫が2013年に撮影。

下の文書はダンバートンオークス会議後、国務省が国内の専門家やNGOを招いて結果報告をした会合の速記録だ。

“Enclosure,” in B. M. Stephens to Leo Pasvolsky, October 14, 1944, SE-OC 1944 Conference File: Dumbarton Oaks Conference Proposals, Conference File 1944-1952 (Box 8), Leo Pasvolsky Papers, Library of Congress.

拒否権についての突っ込んだ質問がある学者からあったことがこの記録にみえる。それにたいする明確とはいえない回答があったこともみえる。

W・E・デュボイスからの質問は、国際機構が誰のために作られるのか、をめぐる鋭い批判だった。彼は誰のための連合が作られるべきだと考えただろうか? そして、それは現実の何を変えなければらないと考えただろうか? 彼の意見は採用されなかったが、歴史に大義を示した。

サンフランシスコへ

さて、いよいよサンフランシスコ会議に代表団が向かった。

サンフランシスコ市のシティホール。木下郁夫が2013年に撮影。

パスボルスキは南部をとおって鉄道でサンフランシスコに向かったが、途中でメキシコの外交団と行路をともにした。パディラ外相ほか一行とパスボルスキは1945年4月21日の昼食を車内でともにした。

食後、若手のメキシコ外交団員がパスボルスキの車両に入ってきて、拒否権についての疑問を彼に問いただした。

Foreign Relations of the United States, Diplomatic Papers, 1945, General: The United Nations, Volume IDocument 168.

https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1945v01/d168 [accessed 4 September 2026]

この若い外交官が考えてみたいと言った拒否権の功罪を80年以上がたった今、あなたはどう考えるだろうか? ちなみに、彼は後世、大仕事をした。

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期末試験チャレンジ 研究各論(グローバル・ガバナンス)2022年度前期
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日本の領土紛争
武力不行使と領土保全は現代世界の大原則である。五大国でない日本のような国は平和的に領土要求をしなければならない。誰が応じるのであろうか?、と軽々しく言うべきでない。それが国際秩序なのであるから。今回のテーマは、日本が現在、抱えている領土問題に関して、日本とその相手国はどのような主張をしているか書きなさい、である。 ウォルター・リップマンは20世紀前半に活躍したジャーナリストである。彼はハーバード大学…
日米開戦、日系人強制収容、そして終戦へ ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 時の架け橋』第5章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) 今回は、ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録もいよいよ第2巻『Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982)』です。その第5章では、日米開戦から、カナダにおける日系人の強制収容という暗い歴史、原爆投下、そして戦後の日本占領政策に至るまで、激動の太平洋戦争期が克明に描かれています。 1. …
鴨衣斎「無露圭角」コンテンツの休止について
皆様におかれましてはご愛顧ありがとうございます。 お楽しみくださっている鴨衣斎名義でのブログについてですが、誠に恐れ入りますがしばらく休止することにいたしました。 サイト運営費用を調達するためGoogle社のAdSenseを導入することを検討してまいりましたが、あまりに自由なブログの形式と内容が同社の規定になじまないようでございます。 とりあえずはAdSenceの審査に通ることに専心し、ブログは何らかの形で再開できるよ…
機能的国際機構
https://youtu.be/TyXr5MH2GP8 「人間というものは、なんらかの社会的紐帯ですでに結ばれている程度においてしか、平和の欲求をもたないものである」とエミール・デュルケムは言う[1]。個人をメンバーとするグローバル社会のきずなは家族ほどには緊密でない。人種や言語の壁がある。国家をメンバーとする国際社会のきずなも平和を保証するまでではない。国々は軍隊を養い、戦争に備えている。であるので、国際連盟や国際連合の安…

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駐華公使の悲劇

(表紙の画像はAIによって作成された)

歴史というよりミステリー小説のようなテーマである。実際、小説家の松本清張が『昭和史発掘』で「佐分利公使の怪死」というノンフィクションを書いている。これがよくできたまとめなので、事実についてはそちらを読んでくれたほうが事件の要点をつかめると思う。

事件の背景についても清張は触れていて、それも筆者の観点と同一だ。今回はそれをもうすこしふらくませて、戦前日本の政治について理解を深めたい。

教科書での関連する記述

教科書

また、田中内閣の時期には、日本の外交は中国政策をめぐって強硬姿勢に転じた。全国統一を目指して北上する中国国民党の国民革命軍は、広州から長江流域を北上し、各地方を制圧していった(北伐)。これに対して田中内閣は、1927(昭和2)年に中国関係の外交官・軍人を集めて東方会議を開き、満州における日本権益を実力で守る方針を決定した。この年から翌年にかけて田中内閣は、国民革命軍に対抗するため、満洲軍閥の張作霖を支援し、日本人居留民の保護を名目に3次にわたる山東出兵を実施した。第2次山東出兵の際には日本軍は国民革命軍とのあいだに武力衝突をおこし、一時、済南城を占領した(済南事件)。

しかし、張作霖軍が国民革命軍に敗北すると、関東軍の一部に、謀略によって張作霖を排除して満州を直接支配するという考え方が台頭してきた。1928(昭和3)年6月、関東軍は中央にはからず独断で、満州へ帰還途上の張作霖を奉天郊外で列車ごと爆破して殺害した(張作霖爆殺事件)。当時、事件の真相は国民に知らされず、満州某重大事件と呼ばれた。元老の西園寺公望の助言もあり、田中首相は当初、真相の公表と厳重処分を決意し、その旨を天皇に上奏した。しかし、
閣僚や陸軍から反対されたため、首謀者の河本大作大佐を停職にしただけであった。この方針転換をめぐって田中首相は天皇の不興をかい、1929(昭和4)年に内閣は総辞職した。

佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、pp. 302-303。

田中義一総理大臣は陸軍大将で、長年、軍部が築いてきた大陸での勢力を攻撃によって守ろうとした。張作霖爆殺事件のほうは組織としての陸軍の行動でなく、一部軍人による謀略だった。他方で、民間の右翼や大陸浪人には、軍事行動や暴力を支持する者が少なくなかった。これら別々の動きが合流したのが1930年代の昭和維新だった。

もちろん、田中の意図は蒋介石ら中華民国国民政府や張作霖の息子である張学良の是認するところでなかった。

浜口雄幸新内閣は国際協調を旨とし、幣原喜重郎が外務大臣に就任した。幣原が特に見込んで駐華公使につけたのが佐分利貞男だった。彼は駐清公使や外務大臣として日中関係の基礎を築いた小村寿太郎の娘婿だったから、「毛並み」の点では非の打ち所のない駐華公使だった。

自殺か、他殺か

外務省のウェブサイトには、親切にも「「佐分利貞男」という外交官について教えてください。」というQ&Aがある。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/senzen_02.html

「駐中国公使着任及びその死をめぐる経緯に関する文書は、外務省記録「各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂 中華民国ノ部」にあります」とあるので、それを探してみよう。

見つかったかな?

「各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂 中華民国ノ部」をgoogleで検索すると第二巻が出てくることがある。めんどうなので、「各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/中華民国ノ部 第一巻」を検索しよう。ダイレクトにファイルリストが出てくるはずだ。そのうちの「3.佐分利貞男」の閲覧ボタンをクリックすると、ファイルが見られる。

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B14090857700

「3.佐分利貞男」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B14090857700、各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/中華民国ノ部 第一巻(M.2.1.0.13-5_001)(外務省外交史料館)

古い公文書には独特な表現があったり、手書きで読みにくいものがあったりするので、まずはとっつきやすい新聞記事から確かめよう。71ページ、または下に「0160」とナンバリングがあるところ以降が新聞記事のスクラップだ。

疑問のある死はすべて「怪死」だとすれば、これはまさに怪死だったわけだが、1つ目の争点は自殺か、他殺か、だった。

清張

佐分利の怪死は、も早、一切の手がかりを失っている。しかし、筆者は、自殺よりも他殺を強く推定したい。

松本清張、『昭和史発掘 2』、新装版、2005年、文芸春秋、273ページ。

さすがミステリー作家だけあって、つかんだネタははなさない執念を感じさせる。自殺説への反証は、利き手の左手でなく右手で拳銃を握っていた、ふだん携帯していたのとは違う拳銃だった、といったところだ。

私自身は、上の反証はどれも決定的なものでなく、むしろ他殺説のほうが障害が多い、と考える。利き手でない手でも引き金は引けるし、自分の拳銃をつねに他人に知らせておく義務はない。ホテルの部屋にどうやって侵入するのか?、なぜ富士屋ホテルに泊まっているという情報を得たのか?、いわずもがなだが、露見したらどうなるのか?、といった困難がある。

自殺だとしても、怪死の原因は何だっただろうか? 外務省がスクラップされた新聞記事には私的、公的な原因がいくつか取り沙汰されている(『東京朝日』、昭和4年、12月1日、74ページ(0164)。『東京日日新聞』、昭和4年、12月1日、79ページ(0169))。

公的な原因であれば、幣原外相の信任は厚かったわけだから、日中関係への絶望ということになろう。ところが、佐分利は8月に就任が決まり、10月17日に蒋介石主席に信任状を捧呈したばかりだった。11月29日に遺体が発見されたわけだが、絶望するまでの時間が短すぎる。

中国側からの期待

この短い期間に、なぜ佐分利公使は絶望しなければならなかったのだろうか?

分かりやすく言えば板挟みだ。中国側はおおむね歓迎で、佐分利公使着任を田中内閣の外交からの決別と理解していた。

そうした反応を中国各地の領事官は本省に報告した。まず着任内定を受けての駐ハルピン総領事から。

駐ハルピン総領事

佐分利新任駐支公使ニ対スル支那紙論調報告ノ件

本月二十一日ノ支那紙「哈爾賓報」ハ「佐分利貞男氏来ル」日支両国交渉ノ推測(※原文「公約ノ推測」)ト題シ、今回佐分利氏ノ駐支公使実現ニ依リ日支国交ノ前途大イニ発展ノ機会アリ。 由来自日支両国ハ歴史的、地理的、経済的及文化的ニ相互環繞(かんじょう)ノ要アリト信ズ。 唯近来日支交渉中ニ種々ノ特殊利益ノ為其(それ)惹起シ来リタル者ノ為メ日支間ノ親善ハ遂ニ支那人ニ満足ヲ與フル能ハサリ、是レ等ハ実ニ日支双方ノ痛惜ニ堪ヘサルト共ニ次ノ如ク佐分利新任公使ノ新任ハ双方官民ノ歓迎ニ値スルノ任ニ命シ、猶且ツ同氏ハ日支両国政府各要人ト友誼厚ク私的関係ヲ利用シテ両国ノ親善ヲ増進スルニハ絶好ノ機会ニシテ両国人民ハ固ヨリ之ノ好転ノ実現ヲ希望スルモノナリ。只日本現内閣ノ対支外交ト同氏ノ対支方針トカ両国間懸案一切ノ解決ニ関シ能ク支那人ニ満足ヲ與フル能ハ得ルヤ否ヤ、例ヘハ通商条約ノ改正ニ際シ平等互恵ヲ重視シ或ハ従来ノ外交上ノ障壁ヲ除去シ得ルヤ否ヤ。 又満蒙特殊利益ノ問題ニ関シテハ、若シ之レカ帝国外交ノ方針不干渉主義ヲ行ハズ支那ノ内政ニ限リ之レ満蒙ニ関シテハ之ヲ除外スルト云フノ如クナラズ(※南京方面ヨリノ消息ガ真ナリトセバ)真正ノ親善ハ到底望マレザルナリ。 今ヤ列国ハ相互平等ノ原則ニ基キ関係維持ニ移リツツアリ。又日支両国相互ノ安寧ニ迫ラレツツアル際、氏ノ新任ノ如キハ実ニ(※真正ノ親善ニ到達セシムレサルトキハ)茲ニ両国ノ関係ヲ置クコトハ東洋ノ不幸ニシテ亦日本ノ福利ニ非ズ。佐分利氏ノ之ヲ諒トシテ或ハ我言ニ考慮アルベキ乎。

右報告ス

件名送付先 在天津、奉天、上海、南京各帝国領事館

八木元八、「佐分利新任駐支公使ニ対スル支那紙論調報告ノ件」、1929年9月26日、「3.佐分利貞男」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B14090857700、各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/中華民国ノ部 第一巻(M.2.1.0.13-5_001)(外務省外交史料館)。21-22ページ(0110-0111)。

つぎに駐天津総領事からの報告。

駐天津総領事

佐分利公使着任ニ関スル大公報社説詳報ノ件

(受付印:昭和四年拾月拾八日/情報部)

十月八日大公報ハ「日本公使佐分利氏ノ着任」トシ大略別紙譯文ノ如キ社説ヲ掲ゲタリ

右報告ス

本信寫送付先:在支公使、在上海、奉天各總領事、在南京領事

譯文
昨日佐分利新公使ハ新任ノ國書ヲ奉呈シタルガ、此機會ニ於テ吾人ハ佐分利氏ニ對シ一言ノ警告ヲ與ヘントス、最近日支關係ハ濟南事件、皇姑屯爆彈事件等相次イテ起リ、支那人ノ對日感情ハ空前ノ危機ニ陷リ、滿洲問題ニ付テハ兩國同志ノ誠意ニ依リテ漸ク解決ヲ見タルモ、其後又日支新通商條約問題ニ就キ雙方ノ主張ニ差異アリテ、其關係ハ依然重大ナル意義ヲ有スルナリ、

故ニ新公使ノ就任ハ只日支兩國公使ノ更新タルニ止ラズ、日本現内閣ノ對支政策ノ變更トシテ吾人ノ期待スル處極メテ大ナルモノアリ、

第一、新公使ハ支那國民ノ革命過程ノ曲折ヲ了解スベシ、支那ノ現状ハ一見混亂ヲ極メ、或ハ失望ニ陷ルヤニ見ユレトモ、之レ大業完成ノ過程ニ於テ免ルルコト能ハザルモノニシテ、支那ノ統一ハ一朝一夕ニシテ完成セラルルモノニアラズ、新公使ガ若シ此點ヲ了解セバ、支那ニ對スル過度ノ悲觀ハ自ラ解消スベシ、

第二、新公使ハ支那ノ革命ガ帝國主義ノ侵略ニ對スル反動ナリトスルコトヲ了解スベシ、從來ノ不平等條約ヲ改訂シ、平等互恵ノ新條約ヲ締結スルハ、支那ガ一ノ獨立國家トシテ當然ノ要求ナリ、日本ガ若シ此要求ヲ容レ、支那トノ親善ヲ增進セント欲セバ、根本的ニ其對支政策ヲ改メザルベカラズ、

佐分利氏ハ民政黨内閣ノ成立ニ伴ヒ派遣セラレタルモノニシテ、前内閣ノ武斷政策ヲ改メ、日支提携ヲ圖ラントスル意圖ヲ有スルヤニ傳ヘラル、吾人ハ新公使ノ手腕ニ望ム處極メテ大ナルモノアリト雖モ、其成功スルヤ否ヤハ、一ニ新公使ガ支那ノ真相ヲ如何ニ了解スルヤニ懸ルモノト信ズ、

佐分利氏ハ民國十四年北京關税會議ニ參列シタルコトアリ、其際ニ於テハ比較的支那ノ事情ヲ了解シ居リタリト傳ヘラル、然レドモ其後支那ノ政局ハ一變シ、國民政府ノ統一成リテ新タナル段階ニ入リタリ、新公使ガ過去ノ觀察ニ囚ハルルコトナク、新シキ支那ヲ直視センコトヲ望ム處ナリ、

吾人ノ新公使ニ望ム處ハ、局部的ノ問題ヲ解決スルノミニ止ラズ、日支間ノ根本的了解ヲ圖ルニアリ、濟南事件ノ解決等ハ一ノ局部問題ニ過ギズ、真ノ親善ハ兩國國民ノ精神的提携ニ俟タザルベカラズ、日本側ガ依然トシテ優越感ヲ抱キ、支那ヲ見下スガ如キ態度ヲ改メザル限リ、永久ノ平和ハ望ムベカラズ、

新公使ガ今次ノ着任ヲ契機トシテ、日本ノ對支政策ヲ根本的ニ刷新シ、日支兩國ノ眞ノ親善増進ニ貢献センコトヲ切望スルモノナリ。

岡本武三、「佐分利公使着任ニ関スル大公報社説詳報ノ件」、1929年10月8日、「3.佐分利貞男」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B14090857700、各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/中華民国ノ部 第一巻(M.2.1.0.13-5_001)(外務省外交史料館)。47-50ページ(0137-0139)。

最後に、南京の臨時代理公使からの報告。

臨時代理公使

佐分利公使着任ニ關スル支那新聞論調報告ノ件

本件ニ關シ本月十一日ノ「益世報」ハ「日本新公使ノ着任ト日支國際ノ宿題」ナル見出ノ下ニ大要左ノ通論評セリ

一、民政黨內閣ニ依リ派遣セラレタル新任佐分利公使ハ既ニ着任シタル處、想フニ政友會政府ノ陰險ナル對支政策、田中外相ノ武斷外交ニ依リ日支兩國間ニ惹起セラレタル幾多ノ懸案ハ、前任芳澤公使ノ如キ不即不離ニシテ優柔不斷ナル官僚式外交ノ下ニ於テハ解決ヲ見ルモノニアラス。

一、民政黨新內閣成立後ニ於ケル對支新方針ノ實施ノ初メニ當リ、佐分利公使ハ純粹ニ支那ナル國民ノ性情、歷史、習慣ヲ通シ、眼光廣キ外交官ニシテ且複雑ナル我國際關係ノ原因ヲ爲シ居ル懸案ヲ解決スルニ適任ノ外交官トシテノ技術ヲ揮フルコトトナレリ。吾人ハ目ヲ拭フテ之ヲ瞻ムトス。

一、現下兩國間ニ於テ最モ緊急ナルモノハ期限滿了セル條約修訂問題ナリトス。其他領事裁判權、關稅實施、滿蒙內地雜居移民及軍警ノ駐屯、南滿鐵道ノ擴張、森林鑛業權等、重大若ハ重大ナラサル爭執何レモ之カ解決ヲ要スルモノナル處、中日親善、共存共榮、東亞ノ和平、諒解、同情ノ如キ國際標語的名詞ハ實際ニ於テ何等裨益スル所ナキ次第ニテ、民政黨政府ニ於テ實際ニ日支兩國相互理解ノ效ヲ收メ積年ノ誤解ヲ除カムトシ、而シテ佐分利氏カ此ノ新外交方針ノ下ニ活動シ一線ノ曙光ヲ開カムトセハ、必スヤ毅力、勇氣、決心ヲ有スル壯年外交家タラサルヘカラス。

斯クテ吾人ハ其ノ銳敏活潑ナル手腕ニ依リ日支國際間ニ惹起サレタル不名譽ナル錯誤失敗、羞辱ヲ打破シ、一切ノ兩國間ノ國際問題ニ付共同シテ公正妥當ノ解決ヲ計リ、以テ眞ノ和平、友誼、諒解、親善ヲ策シ、且貿易抵制、經濟絶交ニ依ル打撃ト損失ヲ恢復スルノ希望アリト信スルモノナリ。吾人ハ再三再四考慮ノ結果、此等ノ諸點ヲ以テ日支新國際關係ノ出發點ニシテ、今日ハ正ニ其ノ時ナリトナスモノナリ、云々。

右何等御參考迄報告ス。

堀内謙介、「佐分利公使着任ニ關スル支那新聞論調報告ノ件」、1929年10月14日、「3.佐分利貞男」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B14090857700、各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/中華民国ノ部 第一巻(M.2.1.0.13-5_001)(外務省外交史料館)。50-52ページ(0139-0141)。

中国側の期待は佐分利の死によって水泡に帰した。このあと、日本の外交官と領事官は軍部の謀略の尻ぬぐいばかりやらされることになる。本来ならば、佐分利のように東アジアの平和という大局観に立って日中関係を構築することが必要だったはずだが、そうした試みは一切なかった。

空位時代の始まり

実質面で佐分利公使以降、日中外交は停滞したが、形式面でもそれは如実に表れた。後任として内定した小幡酉吉にたいして中国政府はアグレマンを与えなかったからだ。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/showaki113_12.pdf

駐華公使の座は重光葵が1931年9月14日に信任状を捧呈するまで空席となった。これは満洲事変の4日まえだ。とはいえ、日中関係が真に友好的になることは日本の敗戦までついになかった。

その象徴が1938年1月16日の第1次近衛声明だ。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/nitchu1_06.pdf

国民政府は敗戦とともに「以徳報怨」と声明し、友好関係を樹立したものの、大陸とは1970年代まで、つまり北伐から40年あまり、友好は育まれなかった。

「田中上奏文」

佐分利公使の怪死を真実らしく聞こえさせる要因がもう一つある。それは偽作とされる田中上奏文だ。

田中義一は外国人からの評判がすこぶる悪く、ここまでか、ここまでか、というほど人格を非難された。おそらく英米などの外国人は田中上奏文を本物だと信じていたのだろう。

田中上奏文の要点は、秦郁彦によると、次のとおりだ。

秦郁彦

本文の内容は、「対満蒙之積極政策」「新大陸開拓与満蒙鉄道」「以吉会線及日本海為中心国策」「対満貿易主義」などの見出しからおよその見当がつこうが、もっとも著名でよく引用されるのは「支那を征服せんと欲せば、ます満蒙を制せざるべきからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず……これ乃ち明治大帝の遺策にして」(『中国』一四号収録による)のくだりで、上奏文の核心はこの数行に要約されている、といってよい。

秦郁彦、『昭和史の謎を追う』、上、文芸春秋、1999年、16-17ページ。

世界支配の共同謀議という東京裁判の歴史観と田中上奏文はぴったりと符合する。むしろ、田中上奏文を信じた外国人がその観点から戦前の要人を裁こうとしたのが東京裁判だった、といえる。

それにしても、日中関係に携わる人はほんとうに大変だ。

過去課題

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開戦前夜の重苦しい空気と国王行幸 ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 黄金時代を打ちだす』第15章
Keenleyside, Hugh L. Memoirs: Hammer the Golden Day (Volume 1, 1981). (要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook) これまで日本の滞在記を中心にお届けしてきたキーンリーサイド回顧録ですが、第15章では舞台が母国カナダへと移ります。エドワード8世の退位や国王ジョージ6世の北米行幸という華やかな王室外交の裏で、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へと引きずり込まれていく悲痛な開戦前夜の様子が描かれています…
ノーベル平和賞
ノーベル賞には権威がある。しかし、選考がつねに正しいわけでない。功績とされるもののなかには、平和に貢献しなかったもの、動機が不純なもの、なぜ平和への貢献であるのか分からないもの、もある。今回のテーマは、最新のノーベル平和賞受賞者について、経歴、授賞の理由とされた活動、そしてあなた自身の評価を書きなさい、である。 アルフレッド・ノーベルは1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれた。彼が巨万の富を…
Geminiさんの答案 研究各論(国際政治経済)2024年度前期
カーボンフットプリント(CFP)という概念がある。「製品・サービス1のライフサイクルにおける温室効果ガス排出量をCO2量に換算し表示するもの」と定義される。 経済産業省と環境省によると、CFPは下のように算定される。 「CFPは製品のライフサイクル(原材料調達、生産、流通・販売、使用・維持管理、廃棄・リサイクル)におけるGHG排出量をCO2量に換算し表示するものです。以下の流れで算定します。 ① 算定対象製品のライフサイ…
実証主義、批判理論、ポストモダン
国際政治学とは、諸国民間における力と平和を求める闘争に関する研究である。モーゲンソー流に言うとこのようになる。その一方で、こうした定義はしばしば批判されてきた。なぜ、人々の幸福なり、ウェルビーイングなりを研究の対象としないのか? 確かに、21世紀になって高まった持続可能な開発目標(SDGs)への注目にはそうした問題意識が反映されていた。 今回のテーマは、実証主義とポスト実証主義の間の方法論上の論争が、国際政…
集団安全保障と自衛権
https://youtu.be/K7VHDCunF9k 国際連合を作る第一歩は、アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ローズベルトによる「四つの自由」演説(1941年1月)であった。自由の一つ、「恐怖からの自由」、とは軍縮のことであると説明されたが、軍縮が可能になる平和な世界を作るには軍縮以上の何かが必要であった。 平和のためには何が必要か? 同じ1941年の8月、ローズベルトはイギリスのウィンストン・チャーチル首相とともに、大西洋憲章を…

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台湾出兵の北京交渉

(表紙の画像はAIによって作成された)

西郷びいきに押されて影が薄い大久保利通だが、北京交渉の功績は私もすなおに認めたい。台湾はやがて植民地になり、また植民地支配に肯定的な手合いも少なくないので、強い反論をこうむりそうであるが、同時代的には、台湾は誰から見ても清の領土だったのだ。

教科書での関連する記述

教科書

1871年に台湾で琉球漂流民殺害事件が発生した。この際、清が現地住民の殺傷行為に責任を負わないとしたため、軍人や士族の強硬論におされた政府は、1874(明治7)年に台湾に出兵した(台湾出兵)。

佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鈴木淳、『詳説日本史』、山川出版社、2024年、p. 245。

のちに台湾は日本の植民地になるとはいえ、領土を求めて日本は派兵したわけでなかった。それでいて、琉球のほうは自国領だ、と日本は平然と主張した。この態度を貫いたことが、のちの琉球領有の地ならしとなった、という主張もある。

琉球漂流民殺害事件(1971年)→台湾出兵(1974年4月)→北京交渉(1974年10月)→琉球処分(1979年)

琉球については、遅かれ早かれ清との紛争は避けられなかっただろう。台湾出兵はそれとは切り離すべきだ。日本史教科書にあるとおり、戦争をやりたくてしょうがない征韓論を唱えるジンゴたちに押された暴挙であって、「義挙」とは外交的な糊塗だった。

大久保礼讃

以上のことを検証するだけでも、歴史文書を細かく検証することが本来、必要だ。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DM0001/0001/0007/0140/index.djvu

(ファイルを読むためにDjVu.jsを導入しよう。https://www.epapyrus.jp/downloads)

合意文書である互換条款くらいは挙げておこう。

日清両国互換条款

一、日本國此次(このたび)辦ずるところのものは、原(もと)保民の義舉爲(た)り、中國指して以て不是と爲さず。

一、前次あらゆる遇害難民の家には、中國定めて撫恤の銀兩を給す。日本あらゆる該處に於て修道建房等の件は、中國留めて自用せんことを願い、先行して酌(く)みて補銀の銀兩を給す、別に議辦の據(よりどころ)有り。

一、あらゆる此の事、一切の來往公文は、彼此(ひし)撤回註銷し、永く息論と爲す。該處の生番に至りては、中國自ら宜しく設法し、善く約束を爲し、以て航客の再び兇害を受くる能(あた)はざるを永保すべし。

事の成り行きを詳しく追いかけたいならば、清沢洌、『外政家としての大久保利通』、筑摩書房、2023年(原著1942年)を読めばよい。大久保をほめちぎっているのが気になるが、内容は分かりやすい。

https://amzn.asia/d/0d18RblD

北京交渉の解説はすべて人任せで、仕事をしろ、とお叱りを受けるかもしれない。しかし、事件の本質は漂流民の殺害という、とても国家をゆるがす大事件とは呼びえないものなのだ。事件そのものよりも別の角度から関係者たちの動きを眺めるほうが事の本質を理解しやすいと私は考えている。別の角度とは外交関係だ。

パークスの不在

だいたい第一次世界大戦まで、日本外交はイギリス公使の監督下にあった。日清・日露の戦役を強行したじゃないか、と反論されようが、それらでも分捕った権益を列強と共有し、共通の敵ロシアを倒すことで、実質的にはイギリスに黙認してもらっていた。

歴代公使のなかでも強硬だったのがハリー・S・パークスだった。利権を守ったり、獲得したりするために日本に厳しく糾問したことは、琉球漂流民殺害事件で日本が清につめよるお手本だった。つまり、日本人はパークスという教師を見習ったのだ。

1871年から1873年にあった異例な出来事がこの関係を変調させた。岩倉使節団だ。岩倉具視はもちろんだが、木戸孝允と大久保利通まで要人中の要人たちが海外旅行に出かけてしまったのだから、おかしくならないほうがおかしかった。

これにあわせて、パークスも東京を離れ、代理公使が対応した。パークスにはロンドンで使節団を迎えるという大事な任務があったが、その後の日本外交に与えることになる副作用を岩倉・木戸・大久保も、パークスも過小評価していた。

三条実美・西郷隆盛・井上馨・江藤新平・副島種臣ら、使節団に加わらなかった高官たちを留守政府と呼ぶ。政府の中枢は使節団であり、留守政府は事務管理だけ、という了解があったが、留守政府はバリバリ仕事をしてしまった。内政では徴兵令と地租改正を断行した。

外交では、副島種臣外務卿のもと、マリアルス号事件(1872年)や北京訪問(1873年)で成果を上げた。そして、最大の外政課題として浮上したのが征韓論だった。西郷隆盛を使節として朝鮮に派遣し、うまくいかなければ出兵を辞さず、というのは必ずしも極論だったとはいえない。国交の樹立は世論の総意だったし、不平士族たちは戦争を待望していた。なにより、欧米が清や日本におこなった先例があった。留守政府はこの方針を承認した。

留守政府の外交に強く影響を与えた外国使節はいなかった。あえて挙げれば、台湾出兵を勧めたアメリカ合衆国のチャールズ・デロング公使だった。彼はカリフォルニア出身のフロンティア精神あふれる弁護士だった。国境は動きえる、という生々しい感覚を彼は持っていただろう。後任のジョン・A・ビンガムは連邦議会の下院議員で、そうした感覚は共有しなかった。

1874年の外交関係(東京)

開国がもたらした外交関係はやや誇張すると現地外交の国際管理だった。よって、外交団の構成を頭に入れておくことが、登場人物の言動を理解する前提だ。

実際、ヨーロッパを中心として、ゴータ年鑑(Almanach de Gotha)は外交官必携だった。各国外務省は外交リストを発行し、外交儀礼の用に供するが、そうしたものを編集したものだろう。公文書としての外交リストそのものを参照するのがベストだが、それは手間がかかるうえ、散逸によって現実は不可能だ。1874年版のゴータ年鑑を主に参照し、他年度版やWikipediaなども見ながら、修正したのが次の表だ。

階級
特命全権公使イギリスSir H. S. Parkes
フランスBerthemy
ペルーDon A. Garcia y Garcia
アメリカ合衆国C. E. de Long
イタリアLe comte A. Fe d’Ostiani
弁理公使オーストリアハンガリーLe baron H. de Calice
オランダW. F. H. de Weckherlin
ドイツM. de Brandt
ベルギーC. de Groote
代理公使ロシアCh. de Struve
スペインTh. Rodriguez y Munoz

外交使節の席次は、まず階級で、つぎに先着順で決まる。英仏米伊が日本政府にとっての優先順位ということになる。なぜペルーを外したかというと、ガルシアイガルシア公使はマリアルス号事件の解決のために派遣された特使の性格が強い使節であり、その他の問題にはそれほど関心がなかった、と考えられるからだ。

フランスは普仏戦争で負けて国情は不安定だった。アメリカ合衆国のデロングはビンガムに交代するところだった。明治維新のまえから存在感を誇示してきたパークスの勢力は並ぶものがなかった、といえる。

1874年の外交関係(北京)

まず述べておかなければならないのは、柳原前光二等全権公使が1874年7月末日に在北京公使館に着任したことになっているものの、信任状の捧呈のような通常の外交儀礼はおこなわれなかったことだ。公使はそれでもよいのだが、清朝宮廷は西洋のルールにしたがうつもりがなかったことは認識しておく必要がある。

階級
特命全権公使ドイツDe Rehfues
フランスDe Geoffroy
イギリスSir T. F. Wade
ペルーDon A. Garcia y Garcia
ロシアE. Butzow
アメリカ合衆国F. F. Low
弁理公使オーストリアハンガリーLe baron H. de Calice
ベルギーLe comte G, Reussens
代理公使スペインOtin
オランダJ. H. Ferguson

清にはドイツもロシアも公使を送っていて、大国との認識は日本以上だったのだろう。ただし、信任状捧呈がなかったのが日本だけの例外でなく、他国も同様だったように、ぞんざいな外交関係が北京の標準だった、と考えることもできる。外国使節団は一視同仁だった、と理解できるかもしれない。

着任順で言えば、イギリスのトマス・F・ウェイド公使は最古参でなかった。しかし、彼はアヘン戦争で戦った軍人であり、中国の修羅場をくぐってきたという意味で格上だった。外交文書を読めば分かるのだが、極東の秩序を大局から眺めていた。北京官話については当代一の専門家だった。

ゴータ年鑑では、日本は北京に地歩がなかったのだ。

しかし、北京交渉で日本はミステリアスなセレスティアルエンパイア(天朝)またはミドルキングダム(中国)と対等に付き合った。銀貨を日本に支払うことと引き換えに、すべてのことを水に流そう、と総理衙門とその責任者、恭親王奕訢、に受け入れさせたのだから。

特命全権大使の副島、そして全権弁理大臣の大久保が格上の特派使節として乗りこむ、というのは上の意味において正解だった。とくに、漢学者であり大人の風がある副島は北京が理解しやすい相手だった。彼らにはウェイドさえ端倪できない威風があったのだ。

とはいえ台湾出兵では、日本の台湾領有を支持する国はなかったし、伝染病による兵士の損耗が激しかったので、どうやって体面を保って撤退するか、が問題だった。柳原公使が着任したばかりで、外交団での存在感は無に等しかったのだから。

まとめ

外交団の北京優位は日露戦争まで変わらなかった。ナショナリズムにとっては残念なことだが、外交団の意見は正しいことも多い。その声に積極的に耳を傾けた第一次世界大戦までの日本外交はまだ引き返す機会を持っていた。

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日米開戦、日系人強制収容、そして終戦へ ヒュー・L・キンリ―サイド『回顧録 時の架け橋』第5章

Keenleyside, Hugh L. Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982).

(要約:木下郁夫 / 文章化:Gemnini Notebook)

今回は、ヒュー・L・キーンリーサイドの回顧録もいよいよ第2巻『Memoirs: On the Bridge of Time (Volume 2, 1982)』です。その第5章では、日米開戦から、カナダにおける日系人の強制収容という暗い歴史、原爆投下、そして戦後の日本占領政策に至るまで、激動の太平洋戦争期が克明に描かれています。

1. 太平洋戦争の勃発とカナダのいち早い宣戦布告

日中関係の悪化に伴い、カナダは日本の資産を凍結し、駐日公使を空席のままにするなど対日関係は冷え込んでいきました。独ソ戦の開始を見た筆者は、日本が「南進」するという予想を立て見事に的中させます。 そしてついに真珠湾攻撃の報をニューヨークで知った筆者はオタワへ直行し、国王の承認を得て対日宣戦布告を行います。驚くべきことに、この時カナダはアメリカやイギリスよりも早く行動を起こしていたのです。開戦後、外務省の全努力は戦争の実行へと向けられました。

2. 日系カナダ人へのデマと理不尽な強制収容

この章で最も重いテーマとなるのが、カナダ国内(特にブリティッシュ・コロンビア州)での日系人に対する迫害です。開戦後、日系人が「スパイである」「漁業や農業を独占している」といった無根拠なデマやヘイトが、ラジオなどを通じて急速に広まりました。 政府の委員会が再調査を行っても、日系人による転覆活動の証拠は皆無でした。しかし、人種的偏見に基づく敵意と暴動への恐れから、連邦政府は全日系人の保護区域からの強制退去(強制移住)を決定してしまいます。日系人の財産は二束三文で処分され、彼らは農場やキャンプでの厳しい生活を強いられることになりました。

3. 正義を貫いた筆者と、キング首相との決定的な対立

筆者は、転覆活動の証拠が皆無である以上、強制移住は「不必要で不正義」であると強く主張し、カナダは勇気ある政策をとるべきだったと批判しました。しかし、この正しい主張は、大衆の感情を優先して日本に口実を作られまいとするキング首相を失望させることになります。 結果としてキング首相の不興を買った筆者は、対日交渉の担当から外されてしまいます。それでも筆者は、「昇進せずとも悔いなし」と、自らの信念を曲げなかった矜持を書き残しています。

4. 原爆投下の悲劇と、戦後日本の占領構想

戦争の終結を決定づけた8月6日の原爆投下について、筆者はそれが「何万人を救った」としつつも、別の方法で威力を示せば「虐殺は避けられた」はずの悲劇であったと複雑な思いを記しています。 さらに、終戦直後のアメリカ国務省内における対立にも言及しています。皇室や財閥を利用しようとする保守的な親日派(極東問題局長グルーら)に対し、筆者は、日本には「土地改革・財閥解体・新憲法が必要」であると強く主張しました。その後、筆者は駐メキシコ大使に任命され、長年関わってきた日本問題から離れることになります。

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